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返ってくる罪
人にしたことは、必ず返ってくるのだと、今日、改めて思い知った。

かつて、自分を裏切り去った男。
最後に私にいったことばをいまでも覚えている。

「本当にごめん。
 だけど、人は変われるんだ。
 これからはこころを入れ替えて、
 彼女だけを見て彼女を絶対にしあわせにするよ。
 本当に、ありがとう」

あれから、2年半が経った。
今日、彼が結婚寸前で破談したことを知る。

そして同時に怖くなった。
あと15分で2008年。
大好きな人と一緒に迎えられる喜びの反面で、
知らないうちに彼と同じ運命を辿っているのではないかという不安。

少し口を開けながら、台所を掃除する彼を見て、
なぜか、安心した。

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[2007/12/31 23:45 ] | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
1ヤードの成長。
復職面談を前に、ビビッている自分がいる。
この2カ月でいろいろな人に、「仕事」というものに関して聞いた。
大きく、タイプが3つに分かれているようで。

夢を仕事にしている人。
こういう人たちは強い。けれど、犠牲にするものも多く、
夢を勝ち取るまでの過程は実につらい。

夢を仕事にいつかしたい人。
夢を追いきれない。現実と夢の狭間で苦しみ、
どちらにもつく決心がつかない優柔不断タイプ。

仕事完全割り切りな人。
仕事は報酬の糧。
給料分だけきっちり働くというタイプ。

鬱に陥りやすいタイプは真ん中だと思う。
私も、女性パイロットの夢を追いかけている親友もそうだ。
ただし、これはあくまでも私の主観的意見として、捉えてほしい。

夢を仕事にするべく、という人と夢を仕事にいつかしたい人の違い。
私は前進力ではないかと思う。
彼らは「立ち止まる」ことはあっても過去に捕らわれることはない。

1人、そのよい例となる人を紹介しよう。
親友Sは私がかっこいいと心から思う男の1人だ。
彼はバーテンダーという夢を追いかけ、単身イギリスへ。
修行後、日本に帰国し、いまはトップクラスの店のバーテンダーとなっている。
そんな彼が尊敬して止まなかったお父様が最近、亡くなった。
訃報を知って、私はお通夜へ向かうべく、勝手に身体が動いていた。
2つあった。
前日までの彼のブログを読んでいて、いままで感じなかった「彼らしくない」を感じた。
そんな仲間に会わせてくれたお父様に、一言、お礼をいいたかった。
金はない。
カードと財布の中身は1500円で新横浜から急遽、小倉行きの新幹線に飛び乗って、
彼の実家の岡山へと向かった。
お通夜での彼は無表情で、多分、私にも気がついていなかった。
車内の往復6時間で、彼の笑顔をずっと思い出していた。
あいつは、いつも笑顔だった。
そしてご高齢にも関わらず、お父様のお通夜は人で溢れていた。
翌週、東京に戻ってきた彼は辛さをエネルギーに変えて、
いまもカウンターでシェイカーを振っている。
きっと、私なら「過去と思い出」という波にのまれて半年は使い物にならなかっただろう。
彼は、「立ち止まる」ことはしても、後ろを向くことはなかった。

そして完全割り切り方の例。
会社の産業専門医のT氏。
「給料分だけ働けばいいんです。
 それ以上、がんばることなんてないんだから。」
彼の目には覇気もなく、諦めと割り切り、でも、仕事はこなすという
会社にとっては実にありがたい存在だろうということが、
最後にしか私と目を合わさなかったその姿勢から窺い知れた。

そして、自分を振り返る。
どちらにもつけない。
働きマンになる覚悟もなく、おとなしくまとまっていたくもない。
迷い続けている。

その迷いは芋づる式にすべての不安にリンクする。
不安を防ぐために取った彼の行動や、
復職に対する不安、復職したときに見られる周りの目、
そしていつも現実から逃げてきた自分自身。
「いつか私は何かができるから、いまはいいんだ」
そう自分にいわせてきた結果、夢を仕事にいつかしたい人になり、
思い通りに行かない現実に、打ちのめされて鬱になった。
振り返ると、大した努力はしていなかった。

私は、鬱は殻だと思っている。
薬でも医者でも治せない。
その厚い殻の卵を抱きかかえてくれる大きな温もり。
たった1人でもいい。
何もいわずに泣き叫ぶ自分を抱きしめてくれる人がそばに居てくれれば、
そして抱きしめてくれるその腕を握り返したいと思った自分が生まれたときに、
その殻が破れるものだと思っている。

復職に際し、仕事に対する姿勢について、正直いまも迷い続けている。
ただいままでと違うのは、「本当はできるのに」と布団の中で嘆くか、
できない自分も自分なんだと認めるようになったことだ。
1ヤードにも満たないその1歩を、私は自分で褒めてやりたい。

最後に、暴れまわる私を必死に押さえて抱きしめてくれた人たち。
中でも5人。
親友Sは決して甘くない。
だけど彼女はいつも、本当に私が道に迷ったときに必要なことばをくれる人。
京都のおとん、
「有紀ちゃん、この宇治川なぁ。
琵琶湖からまーっすぐ流れよって、この宇治通ってな、
いずれ淀に出て、大阪湾に出るねんで。
ほんまやで。
ただ1本まっすぐに流れよる。人生これまた然り」
どんな文学者より、私はこの一言は名言やと思うよ。
「ほんまやで」
多分、私を1番理解してくれているであろうウンノ。
「どんなあなたでも愛している」
その一言が、私の殻にヒビを入れてくれた。
会社の先輩、マキさん。
「マキさんみたいになりたい!」
とトイレでいったときの、
「あんたばかねぇー」と満面の笑みでいうマキさんには、
どれだけ助けられたか分かりません。
そして、45.
「信用と信頼」で彼に勝る人はいない。
あなたがいたから、ここまで来られた。

いま、彼らに私のたった1ヤード、その1ヤードの成長を報告したいです。

[2007/12/18 17:51 ] | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
26、初週末の堕落。
「26」になった。
ホットカーペット買った。

最強だ。
ちょっと横になるって思うと4時間経過してしまうほどの、
心地よさったらありゃしない。

「りんご食べる?」
っていわれても、
「あーぁ」

「お片づけしなさい!」
って起こられても
「へぇ……」

殿の雷が落ちる日は近い。
[2007/12/16 09:26 ] | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0)
109の威力
行った。
3年ぶりくらいに行った。
ゆうこと一緒に行った。

30分、たったそれだけでものすごい脱力感。
ただ立っているだけでも疲れる場所。

2時間いたら、自殺できる。。

109、恐るべし。
[2007/12/06 20:24 ] | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0)
生活と愛情の比重。
「書く」という行為では決してうそをつきたくない。
自分の行き場のない思いを書くために、blogを始めた。
それを、思い出した。

1人でいるということは、寂しいことだけれど、
2人でいるということは、強くならなければならないこと。
最近、痛感している。
2人でいると喜びは2倍になるが、悲しみも2倍になる。
怒りも2倍になる。

たとえば、ピーマンの肉詰めを食べるとき、
1人ならソースだけ持ってくるのに、
食卓にはソースとしょうゆが並ぶ。
手間が、増える。

私が当然と思っていることは、相手には理解不能の行動で、
その逆も然りだから、なお厄介。
悪気があっていっていることではないから、
頭ごなしに否定も怒りもできない。

ときどき、キッチンに行ってごみ袋を持ってきて、
自分の荷物をまとめて家を出ようと思う衝動に駆られる。

「何を考えているの?」
「何も考えていないのに、どうしてそんな大事なこと、
 簡単にいったり撤回したりできるの?」
「私っていったい何なの?」

きっと、腹の底を見せ合うと、ぐっちゃぐちゃになるから
適度に本当のことをいい、その腹の底は他所でぶつける。
それが悪いとは思わないし、それはある種、思いやりだとも思う。

ときどき、生活というものの中で、
逃げられない加齢と、それに伴う周囲の結婚への焦り、
それを悟られまいとする平常心を他所に
細かい性格なのに気遣いができない男への苛立ち。
抑えられずにプチ家出。
家を出ても、寒いし、行くところといえば、
この付近、目黒と違って歩いて8分先のコンビニくらい。
立っているのにも疲れて、無駄にマンガとか買って30分で速攻帰宅。
心配させてやろうと思って結局自分が損をする。

結局それらは自分の弱さが起因しているだけなのに、
何かのせいにしないとやりきれない、更に弱い自分。

それでもこの生活が大事なのは、
結局、グダグダ文句をいってみても、
いつも答えはここにある。
「でも、好きなんでしょう?」



[2007/12/05 17:31 ] | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
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