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普段ならいわない一言を、イライラしていていってしまう。 或いは、普段なら気に留めない一言がヤケに耳につく。 という経験は皆さんあると思いますが。
一緒に住むとより顕著になるのですね。 覚悟はしていたものの。 特に金回り。
お小遣い制はいやとか、いろいろもろもろ。 正直、それならいわれない対応策を提示して来いこの野郎と思うのですが、 そういうときはあえていま、前にいる人間はクライアントである、と、 自己暗示をかけております。
かわいくない女なのでしょうが、 家計を預かるって、楽ぢゃない。 食費を抑えるのも楽ぢゃない。
あー、腹立ってしょーがない。 そんな日も、ありますわね。
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あの時と同じだ。 独り暮らしを決めた時の不安が私に纏わりつく。 まだ暑い夏の日、「6万円か7万円くらいしか出せないんですけど」という私に、 不動産屋は皆、「ここは目黒ですよ?」と一瞥した。 目黒に強い憧れを描いていたわけでもなく、 ただ、先輩も住んでいるし、何回か来ているし、その程度だったのだ。 否、そもそも、東京のどこに住んだら良いかも良く分からず、 たまたま知っているのが目黒だった。
気がつけばこの街に住んで、5年が経っていた。 変わりゆく目黒の街並みに、いつか私がこの街を離れる日が来るのか、 などと、金曜日の帰り道、コンビニ袋を片手によく考えた。 誰と付き合っても、目黒だけは手放すことはなかった。 住めば住むほど愛しくなる、それが目黒という場所なのだ。
世田谷への転居の話が持ち上がったのは年明け1月。 転居を決めた2月からは、あっという間だった。 不安が期待を上回る。 それを抑え込もうとすればするほど、辛さは増した。 何度、「大丈夫」と抱きしめられても、この不安が消えることはなく、 私は京都へ電話をした。 同棲だなんて、京都にいわせれば恥知らずもいいいところだ。 祖父母にもいえない、私はけじめをつけるまで関西に帰れないその辛さに 耐えられるのか、当人同士は大事に思い合っていても、 それは社会的にはママゴトにしかすぎないその辛さに、耐えられるのか。 大阪に、京都に帰りたい。 自分のこの選択は時代遅れといわれるだろうが、私はこの状況で故郷には帰れない。
「ごめんな、急がしいて帰られへんねん」 何も知らないはずのお義父ちゃんは、怒るでもなく、諭すでもなく、 「帰らんでええ。 女が(故郷に)帰る時は、辛い時だけやで、ほんまやで。 ただ、時々こうして電話くれたらええ。人はひとりでは生きていけん。 女は男がおらんと生きていかれへんし、男も女がおらんとあかん。 ひとりは寂しい、でも、ふたりは楽しいで」 泣いていることを悟られないように声を抑えるのが精いっぱいだった。 肝心なときに、いつも私が行くべき道を示してくれる、それがお義父ちゃんなのだ。
そして私は、目黒を離れた。 目黒の桜は、間もなく葉桜へ変わる。 この桜を眺めながら帰ることはもう、ない。
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